悪魔の棲家のような寂れた城。 そこは魔女の住処だった。
魔女はいつものように鏡の前に立ち、闇と同化するような黒いドレスを身に纏う己の姿を確認する。
毎日飲んでいる秘薬の効果か、それとも魔術か、若い頃とさほど変わらず美しいままだった。
彼女は恍惚とした表情で鏡に語りかける。
「鏡よ鏡……この世で一番美しいのは誰かしら?」
「ただいま留守にしております。 ご用件のある方はピーという音の後に……」
女は鏡に爪を立てて、一気に下へと引いた。
「ぎゃああああああ!! ……ああっ、僕の美しい顔に傷がっ!」
耳障りな音と共に、鏡から悲鳴が上がる。
鏡の表面を傷つけた跡は鏡面に飲まれるようにじわじわと消え去った。
「もうっ、跡が残ったらどうしてくれるのさ!」
「ご主人様に居留守使うとは何事ですの!
この世で一番美しいのは誰だって聞いているのです! とっとと答えなさい!
まっ、聴かなくても分かっていますけれど……」
「お隣さんの竹中カグヤちゃんでーす」
女の足元で重く乾いた音が響いた。
衝撃のあまり、女は右手に持っていた金槌を取り落としたのだった。
「な、なんですって!!」
「ヘーイ、ちょっと待とうよ。 それ何に使うつもりだったの?」
「お前、この間まで白雪姫が世界で一番美しいと言っていたじゃありませんか!」
鏡はちっちっちと舌を鳴らした。
もし彼に人差し指があったなら、左右に揺らしていたことだろう。
「古い古い、古いなー。 今はカグヤがアツイんだよ。
白雪姫は結婚したときに髪切っちゃったし、どんなに顔とプロポーションが良くてもとってもポイントダウンは免れない!
ああ、なんて惜しいことするかなぁー!? あの時は本当、涙で枕を濡らしたよ、三日は!
それよりもさー、ここ最近でグッとキレイになったよねぇ、カグヤ。
白雪姫がショートに転向したからには、もうダントツじゃない!?
何よりあの流れるような艶々の黒髪の、長ぁい髪……もう腰のところより長くなったんじゃないかなあ。
はああー、一度で良いから高いところでくくってみてくれないかなぁ!
……あれ、反応薄いね。 ごめんごめん、若者言葉についてこれなかった?
ええと、まあ掻い摘んで言うと、黒髪ポニーテールは最高だって話なんだけど」
「お前の嗜好なんざ知るか!!
……くっ、ようやく憎き白雪姫から逃れ、苦難乗り越え、金持ちとの再婚にまでこぎつけたというのに……!
連れ子の小娘に負けるなどという間違いは、二度とあってはなりません!
見てらっしゃい、今すぐにでもこの地から消して差し上げますわ!」
「どうやってさ?」
勝ち誇ったように高笑いする魔女を見て、魔法の鏡は眠そうに尋ねた。
「そりゃあもちろん、猟師に頼んで……」
「へぇー、まだ連絡つくんだ。 案外まめだね」
魔女は、白雪姫抹殺でしくじった猟師をどう処分したのか思い出して視線を泳がせた。
「……では、毒林檎で……」
「再婚相手の前で老婆姿さらすの? ばれたらやばくない?
いくら年取ってるとはいえ、ベースは本人のままなんだし」
魔女は沈黙した。
「……な、なるべく平和的にいきましょうか」
「そうだよねぇー、射殺とか毒殺とか、失敗したら後が怖いしねぇ。
前回の失敗から学んだことがあって良かったよ。
だいたいさぁ、自分より綺麗な人が居るから殺しちゃえば私ナンバーワンみたいな思考回路が怖いっていうか天才って言うかププッそうだよね自分磨きにも年齢的に限界があるもんねー、いっそ改造手術とかドーピングとかで差をつけたらいいんじゃない、魔女らしく。
僕、もうあんな修羅場こりごりぃ……暴力反対!!」
魔女は金槌をたたきつけるそぶりを見せて、鏡を黙らさせた。
「だったら、お黙んなさい!
文句をたれている暇があるなら、生産的な作戦の一つや二つ言ったらどうなんですの? あーん?」
「うわっ、こわぁ。
分かったよう、作戦ね! やれやれ、これだから若作りオバサンは困っちゃうよねぇ……」
「さーん、にー、いーち、デストロー……」
「あっヤメテ金槌はヤメテ! 情報ある! 有力情報ありまーす!」
「くだらないことを言ったら、今度こそ割りますわよ」
この鏡は、いつもどうでもいいことばかり流暢にしゃべるのだ。
女は金槌で手のひらをペタペタと叩きながら念を押した。
「カグヤといえばね、今あちこちの男に求婚されて参ってるみたいだよ。
結構いい男もいたみたいだけど、カグヤはどれもこれも突っぱねてるみたい。
爺さんは割とノリノリみたいだけど……そうだ、彼女が結婚するように仕向ければ?
嫁に行けば、少なくとも新居では顔を合わせずに済むよ」
「まあ、お前もたまには役に立つことがありますのね。
なら、善は急げ。 一刻も早く、小娘をあの屋敷から追い出してやりますわ! ホーホホホホホホホ!」
「ああ、可哀想なカグヤ……ホロリ」
器用に涙声だけで泣きまねをしているが、発案者はこの鏡である。
「しかし普通の男では、今までどおり追い返されて終わりかもしれませんわね」
富豪の愛娘が相手では強く出れないのも仕方がないが、今から目ぼしい男たちを探すのは面倒だった。
いっそのこと作ってしまおうかと女は考えた。
「それがいいかもしれませんわね。
裏切りの心配もなく、言うことをきく駒のほうが好都合ですわ」
結婚させて家から追い出せば、あとはどうにでもなると女は考えていた。
まず庭からカボチャを、城に仕掛けたネズミ捕りや庭を探ると、ハツカネズミと溝鼠、トカゲが数匹ずつ居たのでそれをとってきた。
魔女が呪文を唱えると、野菜と動物たちの姿は消えて、身なりのいい男が5人とそれぞれの従者が現れる。
原形を残しているのか、それぞれ正体の特徴が顕著に出ていた。
特にトカゲ男など、お手本のようなトカゲ顔だ。
「お前たち、何としてもカグヤを口説き落としてくるのです。 いいですわね!」
5人の刺客は礼儀正しく頭を下げた。
噂のカグヤは平安時代風の立派な日本屋敷に住んでいた。
家主である竹取の翁は、床板ひとつとっても立派な廊下を渡り、娘の部屋の前で足を止めた。
襖は開け放たれており、庭からの微風が部屋を通って翁まで土のにおいを届ける。
ああ、この子はまた月を見ていたのかと、翁は苦い思いで娘を見た。
御簾ごしに外の光を浴びて浮かび上がるのは天女の如き美貌。
やはり彼女は空に描かれた月を睨み付けていた。
まるでそこが己の故郷であるかのような憂いを帯びた表情である。
やめるべきか……否、今日こそ言わなければ。
決意が揺らぎそうになるが、翁は自らを叱咤する。
「カグヤや・・・・・そこにおるんじゃろう?」
物思いに耽っていたらしいカグヤは、現実に引き戻された。
「うん? なんだ、翁」
振り返って髪が揺れる姿は、まるでこの世のものではないようだ。
竹の中に入っていた頃の小さな赤ん坊とは結びつかないほど立派に、そして誰よりも美しく育ってくれた。
竹取の翁はカグヤの子供の顔を思い描き、思わず溜息をつく。
きっと、いや間違いなく、世界で一番可愛らしいに違いない。
それを生きている間に見なくては罪になる……要は、早く孫の顔が見たいのである。
義娘には申し訳ないとは思っているものの、翁はいつもと同じ台詞を言うのだった。
「カグヤや……何度も言うが、そろそろ観念したらどうじゃ。
ほれ、お前ももう年頃なんじゃし」
「またその話か!?
求婚なら、いつも通り適当に断っておけばいい。 何度も言わせるな」
カグヤはうんざりした様子で翁から顔を背けた。
彼女の視線の先には月しかない。
「おおカグヤ、老い先短い翁のいうことを聞いておくれ」
「翁よ、私には迎えが来る!
近いうちに、ここから出ていかなければならぬ身。
あんな奴らに構う暇はない!」
「迎えとは、お前」
「もうすぐだ! もうすぐ、この家から出なければならない。
結婚など無意味だ」
翁はあきれ顔で溜息をついた。
「その台詞、もう何べん聞いたかのぅ。
お前の来る来る詐欺には、さすがの翁ももう引っかからんぞ」
「この私が来ると言っている! 来るといったら来るのだ!
黙ってしばし待て!」
「まったく誰に似たのか、この頑固者め。
そうやって、いつまで経っても結婚せぬから……翁は、ついに明日再婚してしまうではないか!!」
「そうなのか!? おめでとう!!」
「ありがとう!!」
「めでたいが、色々と初耳だぞ!」
これについてはカグヤも管轄外である。
責めるのは筋違いだ。
「そりゃ、今勢いで初めてカミングアウトしたからのう」
「さすが広大な竹林から私を見つけ出した男……。
人にばかり結婚を勧めていたかと思えば、抜かりないことよ」
「そうじゃろう、そうじゃろう。
結婚で一番重要なのはタイミングじゃよ」
実は翁がカグヤに言いたかったことはこのことだった。
複雑な関係もあって、なかなか再婚することになったことを打ち明けられずにいたのだ。
内心カグヤの強い反発があるのではないかと肝を冷やしていた翁だが、どうやら杞憂だったようである。
「おお、即答で親の再婚を祝ってみせるとは、なんと心優しい子に育ってくれたのだろうか。
見てるかい婆さん、翁たちのカグヤは立派に成長したよ……」
翁は万感胸に迫り、熱くなった目頭を押さえる。
どうせもうすぐ迎えが来て家を出るから、自分には関係ないとカグヤが考えていることを彼は知らない。
「それにしても、明日とは随分と急な話だな。
何か都合でもあるのか?」
「向こうがこの翁にべた惚れでのう。
早く一緒に暮らしたいとやかましくてかなわんのじゃよ。
向こうもバツイチらしいが、これがまだ若く別嬪で!
色男は辛いのう」
「向こうも再婚なら、連れ子はいないのか?」
「そうだ、忘れとった!」
カグヤの一言に大切なことを思い出した翁は、笑いを引っ込めて唸るように言った。
「連れ子は居ないが、以前結婚していた男の連れ子とひと悶着あったらしくてな。
くれぐれもその事には触れぬよう気をつけておくれよ!」
触れるなと言われても、カグヤの存在自体が連れ子である。
「それで相手は誰なんだ?」
「この間、我が家の隣の城に住んでいるご婦人じゃ」
「隣に城なんて建っていたのか?
いつの間に……まったく気がつかなかった」
「ここから5キロほど離れているからのう」
気づかないはずである。
「ともかく、翁ばかりが幸せになっては悪いからな。
結婚相手をあらかじめ厳選して5人にしぼっておいた」
「は?」
「もうすぐ全員屋敷に到着するはずじゃから、身支度でもしておれ」
「は!?」
「いいかいカグヤ、今日という今日は覚悟を決めておくれよ……。
ひゃっほーい、初孫はもうすぐそこー!」
「待て翁、話はまだ……!」
カグヤが待ったなど聞こえていない、ハッスルお爺ちゃんはすでに消えていた。
まんまと謀られたことに気づいたカグヤは、怒りに任せて脇息を叩いた。
「逃げたな、あの耄碌爺が!!
くっ……それもこれも……」
カグヤはまた月を睨んだ。
みんな神隠しにあったせいで、現実に取り残されました。
被害者じゃないのに一番被害被ってるって、どういうことこれ。
ともかく、わたし以外が神隠しにあったのでなんとかしないといけない。
……当面の生活の問題とか。
リアリストと定評のあるわたしだけど、「これはさすがに何か神がかったものの力が働いている」と断定した。
理由は単純。
身の回りに、あからさまなオカルト現象が起こったから。
まだ学校が閉鎖される前のある授業中、ノートに明らかに自分のものではない筆跡で平仮名の文が書かれていた。
『おいで』
どこに?
うさんくささ最高潮じゃないか。
小学生のような拙い字だったし、ただのイタズラだと思って軽く流して、授業が終わる頃にはすっかり忘れていた。
しかし、これがただのイタズラではないことに気づいた。
電話の横のメモとか、テレビの地震発生のテロップが途中からこれになっていたり、ふと気づけば身近なところにある文章はすべてこの3文字。
怖すぎるんですけど。
TVで携帯CMのロゴが、それっぽくレタリングされて『おいで』になっていたのを見てなんとなく和んだから、何とか平静を保っていられた。
そして閃いた。
もしや、これが原因で行方不明者が続出しているのではないだろうかと。
思い出したのは、小学校ではやった「赤い紙青い紙」。
赤い紙と青い紙どっちがいい、という謎の声に答えるとどう転んでも死にそうな目に遭う、というトイレの花子さん系お化けだ。
よく分からないが、これに返事をするとそういう感じで、お化けの世界にでも連れて行かれるのかもしれない。
全くよく分からないけど、大発見かもしれない。
しかし残念なことにそれを確認できる知り合いは、その時すでに誰一人として残っていなかった。
誰かに助けを求めるべきなんだろうが、交番や消防署に電話しても誰もでてくれない。
近隣住民に助けを求めるために外をうろつくのは逆に危険な気がして、ずっと家に閉じこもっていた。
テレビを見る限り、外の世界、少なくとも都市部は正常に機能しているように見えた。
明日来てくれるかなー!いいともー!という感じに、恐ろしいほどいつも通りだ。
どこのテレビ局も、外国の小さなニュースでさえたまには取り上げるというのに、宮城についてはどこも触れない。
仙台放送もミヤギテレビも、テレビレインボーのまま無変化。
OH!バンデスもないので、当然恒例の仙台駅前の中継もなく、様子を見れない。
その上、わたしは現代っ子にしてはめずらしく、携帯をもっていない。
更にいえば、現代社会に珍しく、我が家にはパソコンがない。
つまり外の世界と繋がる道具は、現在ないも同然だった。
普段あまり見ないレインボーだけに、こうやって昼間から見れるとなんだか怖い。
「宮城ー、終わってるー……」
見捨てられたのか、オカルト的な何かの影響なのか、腹が立つほど日本は正しく動いていた。
この状況でもちゃんと水道は出るし、電気も通っている……東北電力さすがです。
そして他に生き残りが居るのかもよく分からない、この状況。
寝ても覚めても、ひとりでひとりでひとりだ。
しかし外に出たら負けな気がする。
なんとなく、家の中が一番安全な場所だと思うのだ。
「なんかの映画で、家には家主を守るパワーがあるとか言ってたし……」
それにわたしのタイミングが悪すぎるのでなければ、家にこもってから誰一人、家の前を通っていない。
電話は県内にも県外にもかかるが、誰も電話に出ない。
110番、119番……交番や消防署ですら、出ない。
現実と夢の境があやふやになるどころか、ずっと悪い夢をみているような気がしてきた。
覚めることができるなら、覚めたい。
気が狂いそうだ。 実際、おかしくなってきているのかもしれない。
この出口の見えない地獄では、いっそ発狂したほうが楽な気もする。 孤独ハイにでもなっていたい。
感覚が麻痺したのか、あの油断すると現れる怪文書を見てもまったく恐怖しなくなっていた。
「へえ、そうなの、たいへんねー……で、なんだって?」程度の感情しか沸かない。
ちなみに小麦高騰に備えて大量の小麦食品や保存の利く食べ物が買い込んであったから、食べるものは心配要らない。
毎日似たような食事、偏りに偏る栄養バランスで、しかもバリエーション乏しいとくればそれだけでも辛い。
これが影響してか、この食に対して人一倍執着が強いと思われるわたしが、かなり食が細くなっていた。
どんな状況でも精神状態でも、おいしいものはおいしくたべられる図太さが数少ない長所だったのに、考えられなかった事態である。
食べ物に限りがあるから、脳が本能的に食を細くしようとしているんだろうか。
長い孤独と暇の所為だろうか、物事を深く考えてしまう癖があるのも相俟って、気づくとこうして不毛な思考に耽ってしまう。
『おいで』
「うっさーい、誰がいくかー、ボケー」
ここ最近でぐっと口が悪くなった気がする。
もはやわたしと意思疎通しようとしてくれるのは、この文字しかない。
なんだか泣けてきた。 あんまりすぎる。
「……あ、返事しちゃった!」
冗談半分とはいえ、まともな返事をしたのはこれが初めてだった。とりあえず布団を被って退避。
一分経過。
退避に飽きたので、布団を持ち上げて作った隙間から、部屋の様子を伺う。
しかし何も起こらない。
何と言うことだ、わたしの推理はこの程度ということか。
誰だ、幼き日のわたしに余計な都市伝説を吹き込んだのは。
虚しさを胸に起き上がると、やはりさっきと何も変わらない部屋の姿があった。
とりあえず暇つぶしにテレビでもと思い、電源をつけてみた。
適当にチャンネルを変えるが、平日の昼なので特に目に留まるものもなく、一周してしまった。
「なんだよ、もー……今までの時間かえ……ん?」
いま、何かいつもと違った。
すると、ここで違和感を覚えた。レインボーのチャンネルなくなってた?
チャンネル切り替えボタンを連打すると、レインボーだったはずの仙台放送は、紫式部でも住んでいそうな内装の部屋を映していた。その中心に一人、誰かが座り込んでいる人物がいる。
髪は床に届くほど長く、その後ろ姿は薄暗い部屋でも目を引くほど美しい。
わたしのステレオタイプと違うのは、服が十二単ではないことくらいだろうか。
仙台放送が復活したことにただ安堵したものの、ただ映像を流し続けているだけで、BGMも、台詞も、何の展開もない。
何かの手違いでこの映像流されているのだろうか。
「気持ち悪……盗撮映像ぽい」
すると彼女は振り向いて、カメラ目線で叫んだ。
「遅い!! 貴様、この私をいつまで待たせるつもりだ!」
ようやく物語が始まるのかと思いきや、カメラは彼女に向けられたまま動かない。
後ろ姿から想像ていた以上に美しく、魅力的だった。
一度見たなら忘れそうにない顔だが、記憶にない。
「誰だろ……新人?」
「私は竹中カグヤ。
ふん、捜す人間の名も忘れたのか? 恥ずかしい奴」
「腹立つこの演技……消そ」
「待て待て待て待てっ!!」
慌ててテレビ画面に張り付いたカグヤ。
それを見て、ようやくテレビの向こうの人物に話しかけられていたことに気づいたのだった。
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